「駅」を失った地域はどうなるのか
という見出しの記事。詳細は
こちら⇒
ちょっと後ほど記事書きます。。。
特に何がいいたかったか?
というわけでもないんですけどね、
ただこう最近ツィッターの文字を
TVとかでも見かけるんですよ、
言葉が未熟なままあふれて
流れていく姿をみていると
息苦しいというか、切ない気持ちになってくるのは
なんなんでしょうね?
未成熟な動物が作り出した未成熟な世界
それが社会だとするなら、それはそれでいいんでしょうけど
それを象徴すように、それこそ未成熟にもみたない
未熟で微細な「感情」を垂れ流す世界。
思いは言葉にすると「消費」されてしまう。
子供の頃なんとなくそう思ったのを覚えています。
私には、自分で自分を疲弊させ消費させている世界。
そんな風にすら写ります。
逆の目線からいうと、
SNSコンテンツの中でも多くの人の注目を
集める人もいます。
それこそ信仰の対象の用に。
子供の頃道端にあったお地蔵さんや小さなお堂?
みたいなモノをよく覚えています。
それに近いような状態?
そういうイメージを私は覚えます。
まぁ、それこそどうでもいい事なんでしょうけど。
なんとなく上の記事から
そういうような事を連想したので
記録しておきます。
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